その特殊潜航艇の乗り組み員の弟さんが、兄の最後の場所を訪ねニュース映像がテレビで流れていました。
「甲標的」と呼ばれたこの特殊潜航艇は、艇の前部に2本の魚雷発射管を備え、敵艦を奇襲することを任務としていました。
実際、日本軍の真珠湾攻撃にも5隻が参加しています。
もともとは、魚雷を発射した後、帰還することを前提としていましたが、実際はその速力や機動性から、「生還の見込みの無い」特攻兵器でした。
64年ぶりに、まさに真下に兄が眠る海を訪れた80歳を超えた弟さんは、兄が大好きだったという日本酒を海に注ぎ、自分も酒を口に。
「久しぶりに兄貴と酒を酌み交わせたのがほんとに嬉しい」
戦争経験者は高齢化し、戦争の記憶、傷跡がどんどん忘れさられていきますが、多くの遺族が今も苦しみの中にあること、
そして、私の祖父を含めて、まだまだ100万人以上の戦没者が、異国の土地や海に眠ったままだということを忘れてはならないのではないでしょうか。