時の総理大臣、村山富市氏が、炎の立ち上る神戸の映像を目の当たりにして、狼狽する姿は今でも忘れられません。
昨年来より、北朝鮮のミサイル問題が声高に叫ばれ、防衛庁もつい先日防衛省に昇格しました。
しかしながら、
北朝鮮のミサイルの驚異や、はたまたアルカイダなどのテロ組織のテロの驚異よりも、日本においては「地震」の驚異が勝ると言う事に、なぜ政治家は気づかないのでしょうか?
そもそも、一揺れで、
阪神・淡路大震災の例で言えば、6000人以上の命を奪ってしまう。
首都直下なら、数万人規模で。
当地の滋賀においても、琵琶湖西岸断層帯の地震では1000人単位の死者で出るとの予測。
そんな活断層が、日本列島及びその周辺海域には無数に走っている。
これって、北朝鮮がテポドンなり、ノドンに核弾頭を搭載して、日本を攻撃してくる以上の驚異ではないですか?
なぜなら、
どんなに独裁体制であろうとも、相手は「人」、「人」であれば、話すこともできるし、相手も「考える」ことができる。
事実、北朝鮮は「核」「ミサイル」を外交交渉の材料として使っているにすぎない。
でも、地震は
いつ、どこで、どんな規模で
起きることを予測することが、現状では不可能のうえ、
それを
止めることもできない。
いつ爆発するかわからない時限爆弾のうえに、日本人の大多数が乗っかってるようなもの。
いったん爆発すれば、多くの尊い「命」が奪われるうえ、「地域」が破壊され、計り知れない経済的損失も。。。
なら、
政治なり、公共のセクターが何よりも力を入れて取り組まなければならないのは
「地震」対策でしょう。
無駄なモノを作る前に、
その資金で、
大事なものを「守る」
これこそ、「まつりごと」の務めや。