「おねがい ゆるして」と、覚えたてのひらがなでメモをびっしり書いた結愛ちゃんは、5歳にしては本当に「たくましく」(すぎる)、生き、結果、亡くなってしまったわけですが、情けない親を見ていると、広く「大人」が「子ども」を教育するってどういうことなのかを考えさせられます。
本県では、知事選挙がいよいよ投票日を迎えました。6月5日には、三日月知事の選挙前最後の公務となる本年度「第2回滋賀県総合教育会議」を傍聴。
資料に記載のある通り、ここでも「たくましく」ということばの意味や意義、このことばが孕んでいる問題点等についても熱心に議論がかわされたところです。「たくましく」生きるってどういうこと?そう生きられない子もたくさんいるのでは?ことばの持つ二面性を確りとらえるべきでは?ことばが先行しすぎると現場が混乱するのでは?等々。
どんなことがあっても、どんなひどい親であっても、パパ、ママに好かれたい、悪者にしたくないと、結愛ちゃんは「自分が悪いからだめなんだ」と健気にたくましく生きてしまった。香川県在住時代には、そんな中でも周りの人に見せた「弱さ」をサインとして感じ取り、多くの大人が動いていてくれたのですが。東京は乾いた街ですね。。。
「たくましく」生きる意味、県政でも熟考していきたいと思います。