10月29日 日中
ホープオブチルドレンの孤児院を後にし、まずは、孤児院近くの「キリングフィールド」へ。慰霊塔のレリーフには負の歴史が刻まれています。
東西冷戦の代理戦争で国が混乱するなか、1975年、ポル・ポト率いるクメールルージュは政権を奪取し、近代資本主義を全否定(貨幣も廃止)した農業中心の原始共産主義社会の建設を目指します。
この過程で、医師、弁護士、教師などの知識人、「ブルジョワ階級」が粛清され、更に国は混乱。虐殺(ジェノサイド)は更にエスカレートし、何の罪もない農民階級まで「反乱分子」の烙印を押され、収容所に収監、激しい拷問の末に無実の罪の「自白」を強要され有罪→処刑の道を辿ります。
統計が様々ではありますが、隣国のベトナムの進攻によって首都プノンペンが陥落するまでの3年半の間に、およそ当時のカンボジアの人口の1 /3(数百万人)が処刑されたとも言われています。
虐殺に携わったクメールルージュの兵士の多くが農村出身の無学の少年兵だったそうです。
無学の者を洗脳し、また、兵士の家族でさえ密告させあい、粛清の対象となりました。
カンボジア国内に、これらの処刑場と遺体を埋めた「キリングフィールド」が数多く存在します。
孤児院近くのキリングフィールドを見学の後は、再びシェムリアップに移動し、当地のキリングフィールドも見学しました。
人間の「狂気」について、重く考えさせられる施設です。