8月26日は、朝から大津市の県立体育館で開催された「平成29年平和祈念滋賀県戦没者追悼式」に来賓出席。献花をさせて頂きした。
開式の前にスクリーンに流されたDVDには、県内在住の戦争体験者の声が。
終戦直前の7月末、県下は一斉に空襲にさらされましたが、守山駅を出発した列車を襲った米軍艦載機による機銃掃射の生々しい証言。ひし形に4機編隊を組んで、物凄い音の機銃掃射を3往復してきた。低空飛行するグラマン機のパイロットが笑っていたのが見えた。先頭の蒸気機関車が被弾し、蒸気が勢いよく漏れ出ていた。後に、犠牲者の遺体安置所で後輩二人の遺体を見つけた時は、自分が列車に乗せたと自責の念にかられ、それはずっと続いている。
一方、満州国の関東軍の一員として、対ソ連戦を体験した方からは、負傷した戦友が足手まといになるのを拒み、手榴弾で自決した。自身はシベリアの抑留体験を経て、帰国。後に、戦友の母親が自分に我が子の消息を訪ねてこられたが、「自決」という核心の部分については、知らぬが仏と思い、話さなかった。という体験談も。
記録というと、先般、NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」を見ましたが、ある将校の日誌により、部隊間や部隊内部の状況がより詳らかになり、あらためてこのインパール作戦で散っていった多くの将兵の無念さが浮き彫りになりました。
戦後72年を経て、記憶や記録の伝承が益々難しくなりますが、こうした記録は後世にも確りと受け継いでいかなくてはなりません。