滋賀県議会

滋賀県流域治水の推進に関する条例-嘉田県政の矛盾

昨日で滋賀県議会2月定例会も閉会。

今年度約1年に渡り、審議を重ねてきた「滋賀県流域治水の推進に関する条例案」(いわゆる流域治水条例案)も残念ながら賛成多数で可決されました。

私は唯一、この条例案に反対し、起立しませんでした。これまで、本会議や委員会の場で、この条例案の抱える問題を指摘してきましたが、昨日も採決に先立つ「反対討論」で問題点を指摘しましたので、以下、その内容を掲載します。少し長くなりますが、重要なポイントを指摘しておりますので、お読み頂ければ幸いです。



「議第 82 号 滋賀県流域治水の推進に関する条例案について、可決すべきものとした委員長報告に対し 反対の立場 から討論致します。
この条例案の元となった、今議会で撤回された、いわゆる原案(議第141号議案)を継続審査すべきものと決した、昨年9月定例会においての賛成討論の中で、流域治水条例案の問題点については既に指摘をしたところでありますが、改めてこの条例案の問題点について論じます。

 まず、はじめに、
 「いかなる洪水からも人命を守る」というのが、滋賀県の進める流域治水政策の大義であるとするならば、その観点から、この条例案がその目的を果たすものであるのかどうかの検討が必要であります。そこで以下検討します。
 「いかなる洪水からも人命を守る」というこの言葉は、そもそも、従来の治水対策、すなわち川の中の対策(河川改修などのハード対策)を進めていくに当たり、①ある一定の治水安全度(例えば1/10、1/30対応)を確保した後に、その計画規模を上回る洪水が発生してしまった場合、②川の中の対策を進めるに当たっては、通常、長期の時間を要しますが、その整備途上で計画規模以上の洪水が発生してしまった場合において、いかに対処し、人命を守るのかという事を意味しております。
 条例案の柱である、想定浸水深の設定および、それに伴う浸水警戒区域の指定と建築規制は、中長期の時間軸で見た場合、一定の効果が発現できる可能性がありますが、短期の時間軸で見たならば、その効果は極めて限定的です。なぜならば、条例案に定める浸水警戒区域の指定及び建築規制制度と対をなす、避難所整備・住宅かさ上げ対策そのものが、②で指摘した、その整備に長期の時間を要するハード対策であるからです。避難所と住宅かさ上げ整備を進める間に(これは中長期という時間軸になりますが)、県がシミュレーションによって、命を失う危険が高いと想定する洪水が発生した場合、具体的に申し上げますと、この秋に昨年の台風18号を上回る大型台風が本県に襲来し、発生確率1/200の降雨量をもたらした場合、条例の効果が発現できないのは明白でしょう。「その場合でもいかに人命を守るか」ということが、まさに今、「今日」現在、問われているのです。                
 この「効果の発現」に対する「時間制約」の問題、つまり、もっとも切迫した場合、本日、あるいは明日、その大雨が降った時にどう対処し、命を守るのか?という問題については、本会議、所属委員会でも再三質疑させて頂きましたが、県当局の回答は「避難体制を強化し対処する」というものでした。
これほど矛盾に満ちた答弁はありません。昨年来、地域住民や、市町等から、条例案について度々疑問の声が挙げられてきたにも関わらず、命を守る為には、建築規制をしてまで、新たなハード整備(避難所及び住宅かさ上げ)が必要だと再三説明してきたにも関わらず、その整備途上においては「避難体制の強化、つまりソフト対策で対処できる」と全く逆の説明を県当局自身が行っています。
 そもそも、避難体制の強化で対処でき、当該浸水警戒区域の住民の安全が守られるというなら、この条例案も、浸水警戒区域設定も建築規制も必要無いのであります。すなわち、その「ソフト対策」を実施すればよいだけの事であります。昨年9月定例会でも既に指摘しましたが、条例案の柱である建築規制に係わる矛盾を提案者自身が認めた段階で、この条例案は、その精神において言わば既に廃案となっているのです。
 仮に、それでもなお、建築規制という手法にこだわり、「命」を守るには、その方法を実施するしかないという立場に、県当局が立つとするならば、いかに強制力を持たせて、建築規制を進めていくかということが問われるわけですが、その手段としての罰則規定についても、「当分の間適用しない」という原案からの修正を行いました。この修正によって、実質的な強制力を失った時点で、建築規制はまたしても、意味を為さなくなっており、更に一層条例案の矛盾は深まりました。この事も県当局自身による作為の結果なのです。
 このように、県当局自身が「何の目的の為に」本条例を制定するのか、不明瞭な立場を取っている状態、すなわち、「命」を守るという目的に対しての手段である「建築規制」という手法が、『どうしても必要な、必要最小限の止むを得ない制約では無いですよ、そこまでの必要性はありませんよ、つまり代替案はあります』。ということを、この本会議の答弁その他で公式に認めている状態で、憲法において保障されている、個人の財産権や、幸福追求権の侵害につながる恐れが未だ多分に残る本条例案を認めることはとうていできません。昨年9月定例会の討論でも指摘しましたが、そもそも、行政権力が「あなたのためにならないから」という理由によって、権利の制限を行う「パターナリズム(家父長的後見主義)」に対しては極めて慎重な態度を取るのが、二元代表制における議会の役割であるとも思います。
 権力の濫用の問題、この事は、この流域治水条例案に限った事でなく、県政運営全般に関わってくる事、だからです。
 その他の技術的部分に関する疑義については、9月定例会の討論その他で指摘したところであるので、この場では割愛します。

 次に、この条例案という制度の制定過程における、制定者たる県当局組織が抱える問題点についても指摘をしておきます。
 土木交通部を中心として、その技官・テクノクラートが、最新の土木工学に基づき、内水氾濫を考慮した「地先の安全度マップ」を開発した事については、私は大いに評価をしている所であります。
 しかし、その運用・活用をいかに図っていくかという点において、土木交通部なり技官なりの限界が露呈したのもまた事実であると思います。本来、このマップが完成した時点で、「防災対策」に係る、あらゆる当事者・関係者を集め、このマップを活用した「ソフト対策」を組織の垣根を越えて、あらゆる角度から、議論すべきであったのです。そこにこそ「流域で守る」という事の本質的意義があったにも関わらず、土木交通部の流域政策局を中心とした極めて狭い組織範囲の中で、条例制定が進められていきました。
 土木交通部の技官の発想の範囲なら、命を守るための「建築規制」という手法に至るのはある意味推定できますし、それは一つの解ではあるのでしょうが、土木技官以外が、この条例に定めるところの「浸水警戒区域」における人命を守る方法を検討した場合「建築規制」及びそれと対をなす避難所整備・住宅かさ上げというハード整備という手法が唯一解とならない事は明白でしょう。
 「自助・共助・公助」という言葉が、防災対策では盛んに使われますが、未曽有の大災害である東日本大震災を経験した今日、求められているのは「公助」の再定義と、その高度化であります。「公助」のソフト対策に係わる機関である、消防、警察、自衛隊等の高度に訓練かつ組織化された救助組織が「地先の安全度マップ」を活用し、有事の対策について検討し、訓練及び装備の充実化を図れば、建築規制という手法については十分代替できるでしょう。
 この事は、すでに今から6年前の平成20年、流域治水基本方針を定めるにあたり県当局が設置した、滋賀県流域治水検討委員会の住民会議がまとめあげた「水害から命を守る地域づくり 滋賀県民宣言」の中でも、これからの「公助に期待すること」として県行政に強く求めていることなのです。すなわち「自助・共助で手に負えないような事態が発生してしまった場合にも対応できるように、緊急的な救助体制を確立する」の部分です。そもそも先に指摘した通り、 明日1/200の雨が降った場合に備える為には、今申し上げた事を既に実施していなければならないのです。 しかしながら、こうした検討と対策が十分に行われている形跡は、各関連組織に確認した所存在しませんでした。昨年の台風18号災害で、鴨川の破堤による流水被害から人命を救助したのはいったい誰だったのでしょうか??
 県のこの6年間の様々な不作為については問題視されるべきでしょう。
 土木交通部の立場に立つならば、部が抱える組織としての限界については、本来ならば総合行政のトップたる知事が乗り越え調整しなければならないのです。しかしながら、知事ご自身が土木交通部の思考パターンと範囲を乗り越えることができていないのが、一番残念な部分であります。
 条例案の審議の過程では、例えば防災危機管理局の職員からは「あれは、流域政策局がやっていることなので。うちは、地震と原子力防災の担当です」であるとか、災害時要援護者の担当である健康福祉部の職員からは「流域治水に関する事で、流域政策局から相談を受けたことはありません」という言葉を耳にしました。先に述べた、消防・警察・自衛隊等の救助機関についても、昨年、「出水期を迎えて、注意頂くために、地先の安全度マップを参照しておいてください」という旨の紙一枚を送付したのみで、県当局から積極的にその活用について働きかけた形跡はありません。正に縦割り行政の極みであります。知事が先に述べた滋賀県民宣言の内容や、本質的に「総合防災」とは何たるかを理解されているならば、本来こうした事態は生じないはずであります。
 またある時、流域政策局の職員からは、既に制定公布されている兵庫県の「総合治水条例」について「あんな条例、中身がなくて全然大したことはないですよ」という言葉が発せられました。住民や議会の反発を受けている本県条例案の審議の過程で、果たして、阪神・淡路大震災の教訓が詰まった兵庫県条例第50条を笑える立場にあるのでしょうか。
 東日本大震災を経験して早三年、国においても、これまでの反省と、震災の教訓を活かすべく、「総合防災」についての施策を様々な機関で推し進めている中で、本県においては、およそ「総合防災」という思想から程遠いのが現実なのであります。このような状況下では、「条例」というツールをいくら作ったところで、その効果的な運用を期待する事もできません。「条例ができたから総合防災を進められる」などという反論も予測できますが、それはこれまでの不作為の説明には全くなっていないことを指摘しておきます。条例案第30条、33条に定める内容は、条例の有無に関わらず、これまでに進めておかなければならないことなのです。
 昨年の台風18号災害は、こうした県当局の「奢り」や「慢心」に警鐘をならす意味があったと思いたいものですが、その後の条例案審議や、住民説明の過程を見ていても、本質的にはさほど変わっていないのが、今日の現状であります。知事ご自身が、条例案に係る住民説明会の復命書・議事録に目を通していないということも、今定例会では明らかになりました。誠に残念の極みであります。
 このような状況下では、条例案に賛成する事はやはり難しいと言わざるを得ません。

 最後に、
 以上、縷々述べて参りましたが、昨年の台風18号災害を実際に体験し、大勢の仲間と共に、まさに住民の命を守るべく、水防活動に従事したその一人として、災害の教訓を活かし、今後も県民の皆様の命を守るべく活動をしていくことをここにお誓い申し上げて、討論を終わります。議員各位のご賛同をよろしくお願い申し上げます。」

以上の内容です。
by ohminohito | 2014-03-25 21:51 | 滋賀県議会 | Comments(0)

遠い昔は日本の都、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が駆け、松尾芭蕉、白洲正子、司馬遼太郎が愛した日本の真ん中、おうみの国(滋賀県)より日々思うことを書いています。滋賀県議会議員 木沢成人


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